2018.02.10

荒金 大典

そもそも、もの作りに
デザインが必要なわけ

チームでモノを作る時、例えば、マーケティング→企画→編集→デザイン→…と、バトンを受け渡すような共同作業が発生します。その過程で受け取ったバトンをなるべく「正しく」次へ渡そうとしても、100%正しいまま次の行程へ渡すなんてことはありえません。それぞれの工程で参加している人の頭の中では、やむを得ない妥協だったり、解釈の違いがあったり…。そういった不確定な要素がどんどん重なっていきます。

 

例えば各工程で70%の正しさを達成したとしたら、最終的にはまあまあ正しいモノが作られそうですが、バトンの受け渡しが5回重なっただけでも、

 

正しさ70% × 行程5回 = 正しさ17%

 

17%正しい。つまりは「正しくない」ということになります。みんなが正しいもの作ろうとする限り、正しいものは作れないのです。だから、チームでモノを作る時、行程のどこかで、正しさのループから逸脱した「飛躍」が必ず必要になるのです。

 

みんなでブレストして考えることは、コンセプトを共有できたり、進むべき方向性が見えたりするけれど、そもそも言葉を通じて思考を交換している以上、概念の域を脱することはできません。例えばブレストの中で「かわいい」という言葉が使われたとしても、「かわいい」からイメージするものは、人それぞれで違うままです。ところが「かわいい」がデザイナーの解釈と主観によってかたちになった瞬間に、全員のイメージが一つに集約されるのです。

 

このようにデザインとは、言語的な概念から物理的な存在に落とし込む作業といえます。もっと突き詰めていうと、デザイナー個人の頭の中で行われる脳内変換の瞬間です。デザイナーに限らずクリエイティブな作業は全て、個人の脳内シナプスが通り道になる瞬間があり、もの作りの川の流れの中で、川幅がいちばん狭くなる瞬間なのです。そこに合議制は無く、あるのは主観のみ。その主観こそがモノづくりの行程の中で最も自由で、最大の飛躍ポイントとなるのです。

 

目的を達成したい時、正しくバトンを引き継ごうとデザイナーが考えてしまうのは間違いです。新たな解釈を加えたり、要らないと判断して削ぎ落としたり、絡まっているものを解いたりするような飛躍は、プラスαの味付けではなく、目的達成のために必要不可欠な作業なのであり、それこそがデザイナーの役割です。素晴らしい飛躍ができるかどうかは実力次第ですが、飛躍が必要なのは確かなのです。

 

一方で、デザイナーと組んで仕事をするなら、クライアントは飛躍の機会を奪わないことに気を払わなくてはなりません。自分の思い描くアウトプットを実現したいだけならデザイナーは必要ありません。より高い目的を達成したいのなら、デザイナーに対しコンセプトや思いを明示することに集中し、デザイナーの飛躍を期待する姿勢であるべきです。飛躍を期待できないデザイナーとは、そもそも組まなければ良いのですから。

 

タグ:

著者: 荒金 大典

次の記事