2018.06.05

荒金 大典

モノが「売れる」ことの意味

ある時、書店に行くと、私が企画からデザインまで深く関わった雑誌が積まれていました。しばらく様子を眺めていたら、その雑誌を手に取った人がいました。その人は軽く立ち読みをして、そして意を決したかのようにサッとレジに向かったのです。私は少し距離を置きつつその後をついていって、お買い上げいただく一部始終を観察してしまいました。とても嬉しく思いました。

 

なぜ嬉しい気持ちになったのでしょうか。それは、単に売り上げがアップしたとか、良いものを作ったことが証明されたということではなく、「売れる」ことが、とても意義のあることだと思うからです。

 

経済の中では、取り引きされるあらゆるモノやコトは「値段」という一つの物差しにプロットされます。その値段を介して価値の交換が行われる仕組みですから、生活者がモノを買うということは、プロットされた値段を超えるような価値をモノの中に見い出し、その人にとって得をする交換作業に及んだ、ということなのです。

 

つまり、買った人も得をし、売り手や作り手にも利益が出ますから、モノを作って売るという作業は、誰もが価値を得られる「三方良し」を生み出す作業と言えるのです。冒頭の「嬉しさ」は、誰もが少し幸せになれるループを作れた、社会的に意義のあることができた、ということから来た気持ちなのかも知れません。

 

もし、モノづくりが自己満足であったり、騙しが混ざっていたりすると、生活者に価値をもたらすことができません。モノづくりはとたんに「作り手のためのモノづくり」という矛盾に突き当たることになります。これは、作り手にとっても、その存在価値を無にする不幸なことに思えます。

 

モノが良く売れた=作り手が儲かったから良かった、という短絡的な話しではなく、そのモノを買ってくれた人に価値をもたらすことができた、という具合に想像力を働かせてみると、経済の風景が少し変わって見えるような気がします。より良いモノを作って、多くの人に買っていただいて、その対価を受け取ることで、買い手と共に、作り手である自分たちも豊かになりたいと思うのです。

 

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著者: 荒金 大典

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